みうらしのらん 【三浦氏の乱】 ○[歴]1247(宝治元)執権北条氏が有力御家人三浦氏一族を滅ぼ した事件。 三浦氏は幕府創業以来の大御家人で、北条氏と協調関係を続 け幕政に重きをなしていた。三浦泰村も第3代執権北条泰時の 女婿として勢力をふるっていたが、第5代執権北条時頼の外祖 父安達景盛やその子義景(ヨシカゲ)と対立して、北条氏とも疎遠 になる。 時頼は外戚安達景盛・義景父子の援助で挙兵、三浦泰村ら三 浦一族を鎌倉で滅亡させる。 「みうらじのらん(三浦氏の乱)」,「宝治(ホウヂ)の乱」,「宝治合 戦」とも呼ぶ。 参照⇒わだがっせん(和田合戦) ◎これ以後、北条氏の独裁体制が確立した。 ◎「三浦の乱」は別:⇒さんぽのらん(三浦の乱) |