ないかく 【内閣】 ○(1)[歴]([中]neige)中国、明・清時代の中央政治機関。 明初の永楽帝(Yongle Di)(成祖)が中書省・宰相を廃止し、 親政の補佐のために翰林院(カンリンイン)の学士から優秀な人物を選 んで殿閣(デンカク)大学士として宮中の文淵閣(ブンエンカク)に入れて 重要政務に参画させたことに始まる。 のち内閣大学士と改称し、やがて六部(リクブ)・尚書(ショウショ) を兼ね行政権を得て、明末には権力が増大し事実上の宰相となっ た。 清初、ホンタイジ(Hongtaiji)(太宗)が内三院を設置。康煕 帝(Kangxi Di)(聖祖)以後、内閣と改めた。 1729(享保14)<雍正 7>雍正帝(Yongzhong Di)(ヨウセイテイ)が軍機 処(Junjichu)を設置してのち実権は失われた。 1911(明治44)<宣統 3>内閣・軍機処はともに廃止され、近代 的な責任内閣制度となった。 参照⇒ないかくだいがくし(内閣大学士),ぐんきしょ(軍機処) ○(2)[政]([英]cabinet)日本の国家行政を担当する最高機関。 首長たる内閣総理大臣とその他の国務大臣で組織する合議体。 国務の総理(事務の統一・管理)、法律の執行、外交関係の処 理、条約の締結、予算の作成、政令の制定、大赦特赦の決定、 また天皇の国事行為について助言と承認を行うなど多くの重要 な職務権限をもつ。 内閣は閣議による意思決定にもとづいて行政権を行使し、国 会に対して連帯してその責任を負う。 衆議院で不信任決議案が可決され、または信任決議案が否決 されたときは、10日以内に衆議院を解散するか総辞職をしなけ ればならない。 ◎1885.12.22(明治18)太政官(ダジョウカン)制を廃し内閣制度を創 設、第1次伊藤博文内閣が成立する。 ◎大日本帝国憲法では、天皇に任命された総理大臣と各国務大 臣が天皇に対して輔弼(ホヒツ)の責任を負うに過ぎなかった。 日本国憲法では、国会で指名された総理大臣と、総理大臣が 任命した各国務大臣によって内閣が組織され、行政権の行使に ついて国会に対して連帯責任を負う。 |