おいらーと 【オイラート】 【瓦刺】 ◇Oirat、[英]Oyrat、[中]Wala(瓦剌) ○[歴]12世紀以後、史上に現れた西モンゴルの部族。 はじめチンギス汗に降ったが、元朝が衰えると外モンゴル西 部や天山北路を領有し、東モンゴルのタタール(韃靼<ダッタン>) と争った。 15世紀初頭、トゴン(Toghon Tayisi)が出て漠北(バクホク)を統 一。タタールとともに明の永楽帝(成祖)の北征を受ける(1407 〜1424)。15世紀の中頃、トゴンの子エセン・ハン(Esen Khan) (也先汗)のとき全盛を極め、明に侵入し1449年正統帝(英宗)を 捕え(土木の変)、翌年明と講和し正統帝を送還。エセン・ハン は大可汗(ダイカカン)と号したが、内訌のため1454年部下に殺され て衰退、タタールの勢いが盛んになった。 清代のジュンガルはその後裔(コウエイ)で、乾隆帝(高宗)に征服 される。 「瓦刺(ウエラ)」,「瓦刺(ワアラア)」,「衛拉特」,「斡亦喇(立心偏+「易」) (オイラート)」,「額魯」とも呼ぶ。 参照⇒えせんはん(エセン・ハン,也先汗),どぼくのへん(土 木の変),だったん(韃靼) ◎「カルムイク(Kalmyk)」,「カルムック(Kalmuck)」はヨーロッパ での呼称。 参照⇒かるむいくぞく(カルムイク族) |