ようきひ《やうきひ》 【楊貴妃】 ◇[中]Yang Guifei ○[人]中国唐代の玄宗(Xuan Zong)の妃( 719〜 756)。名は玉 環(Yuhuan)。蜀(現:四川省)生れ。 幼く両親に先立たれ、叔父の楊一族に引き取られる。 17歳で玄宗の皇子の寿王瑁(Shouwang Mao)(マイ)の妃となるが、 才色すぐれ歌舞音曲に通じて、妃を失った玄宗の寵愛(チョウアイ) を一身に集め、寿王と離婚させられて女道士(尼)となり、つい で皇后に次ぐ第二夫人の貴妃となる。 またいとこの楊国忠(Yang Guozhong)(ヨウ・コクチュウ)が宰相にな るなど楊氏一族も顕要の地位にのぼり権力をふるった。 のち楊国忠にうとまれた安禄山(An Lushan)(アン・ロクザン)の乱 を逃れて帝とともに蜀(ショク)(四川地方)の成都(セイト)への途上、 皇帝が反乱軍の要求を受け入れて馬嵬坡(Maweipo)(バカイハ)で宦 官(カンガン)高力士(Gao Lishi)(コウ・リキシ)によって縊死(イシ)させら れた。 ◎南方の茘枝(lizi)(レイシ)(ライチー)が好物で、長安の宮中ま で届けさせていた。 参照⇒れいし(レイシ,茘枝)(1) ◎西施(Xishi)(セイシ)・王昭君(Wangzhou Jun)(オウ・ショウクン)・貂蝉 (Diaochan)(チョウセン)とともに「中国四大美女」の一人。 白居易(Bai Juyi)(ハク・キョイ)の長編叙事詩『長恨歌(Changhen Ge)(チョウゴンカ)』をはじめ多くの詩や小説に悲劇として描かれて いる。 参照⇒かいごのはな(解語の花,解語之花) ◎山口県長門市油谷久富(ユヤヒサドミ)に楊貴妃が船で逃れて来た という伝説がある。 |