すいえんじけん《すいゑんじけん》 【綏遠事件】 ○[歴]1936.11.14(昭和11)内モンゴル独立指導者の徳王(De Wang)(トクオウ)が日本の関東軍の援助を受けて綏遠省に侵入し、 綏遠省主席の傅作儀(Fu Zuoyi)(フ・サクギ)が率いる中国軍に撃退 された事件。 徳王は関東軍参謀総長東条英機の指導を受け、蒙古軍総司令 部を組織し、五月に挙兵して百霊廟鎮(Bailingmiao Zhen)に進 出。11.14綏遠に攻撃を開始し、11.18壊滅的な打撃を受け、11. 23拠点の百霊廟鎮が陥落して敗走。 これが中国全土に伝えられて、中国の抗日運動を高める結果 となった。 関東軍の華北(北支)分離工作の一つ。また、ソ連の影響で赤 化することを遮断する目的もあった。山内豊紀(ヤマウチ・トヨノリ)を 顧問とし、直接の指揮は田中隆吉参謀(中佐)が当たった。 12. 3田中参謀は百霊廟の奪還を企図したが、12. 9逆に日本 人機関員19人が虐殺された。 ◎1937. 7. 7(昭和12)盧溝橋事件で日中戦争が開始された後の 1937.10.27(昭和12)徳王は蒙古聯盟自治政府を樹立宣言。 ◎徳王のモンゴル語名は"Demchugdongrub(デムチュクドンロブ)"。 ◎百霊廟鎮:内蒙古自治区包頭市(Baotou Shi)達爾罕茂明安聯 合旗(Da'erhan Maoming'an Lianheqi)の行政所在地。 |