Z80はほぼ終わり


2017.1.14更新

Z80は1976年に発表されたザイログ社の8ビットCPUの一種でマシン語はインテルの8080の上位互換があります。
未だに生産されて制御(電子製品や機械をパソコンとは限らないコンピューターで動かすこと)では現役で使われているCPUでありますが、ARMとか安くて高性能なCPUや、PICやH8など代替となるCPUがたくさん出てきて昔のようにメジャーではなくなりました。
未だに使われている制御の分野でもコストや部品入手の難易度や将来性などから新規開発ではZ80を選ぶべきではない状況です。
性能の面では制御ではZ80で十分なことも多いです。
例えばジュースの自動販売機や電卓ではZ80ようなの8ビットCPUはハイスペック過ぎてもったいないぐらいで4ビットCPUで用が足せます。
Z80は限りなく終わりに近いと思います。
個人におけるZ80である必要性は、Z80アセンブリ言語でプログラムを作りたい人ぐらいしかないと思います。
今、個人でZ80のプログラムを新品の実機でするのはパソコンもポケコンも生産していませんから難しいです。
個人で簡単に購入できるZ80の実機はCPUボードぐらいになりました。
(Windowsに接続すること前提のCP/M互換OSのマイコンは買えそう)
エミュレーターならMSXエミュレーターやゲームボーイのエミュレーターやCP/Mエミュレーターがあります。
今はZ80は昔に比べればかなりマイナーになっていますしZ80 CPUのプログラムを作る場合もC言語で済む場合が多いです。
C言語で作るとなるとプログラミング的にはZ80である必要はなくなります。
アセンブリ言語は開発効率が悪く作るのに時間がかかり、しかも移植性がまったくないのでできればCPUに依存しないようにC言語で作るほうがいいと思います。

マイコン
1970年代のマイコン(マイクロコンピューター)がどんなものであるのかは私もよく知りませんが画像から見るとキーボードとディスプレイとディスク装置がないのが普通で横に並んだスイッチもしくは電卓のようなボタンで操作しLEDもしくは7セグLEDの表示しかないコンピューターのようです。
パソコンという名前は昔はなくてパソコンの先祖のようなクラシックなコンピューターはマイコンと呼ばれていました。
広義ではCPUボードやCPUを含むチップなどもマイコンと呼ぶこともあります。
それらはもしかしたらマイクロコンピューターのつもりではなくマイクロコントローラーの略で呼ばれているかも知れません。
パソコンが出始めてからも当分の間、パソコンのことをマイコンと呼んでいる人がいました。
マイコンBASICマガジンという長寿のパソコン雑誌(1982年~2003年)がありましたが、パソコンの記事しか書いていないのに関わらず最後まで「パソコンBASICマガジン」に改名せずにマイコンで通しました。
インテル8080(Z80の下位互換)を使ったアメリカのAltair 8800(1974年)、Altail 8800互換機のアメリカのIMSAI 8080(1976年)、日本では1976年8月3日発売の日本電気(NEC) TK-80なとがマイコンと呼ばれました。
これらのCPUは8080系でZ80の下位互換でした。
マイコンの(1970年代仕様の)歴史は短く、キーボード、ディスプレイ、ディスク装置を前提とするパソコンに置き換わりました。
完全に終わっているわけではないようで、Z80互換CPUを使ったTK-80互換の中日電工 ND80Z3.5、やND80Z3.5系の基盤を使っているAltail 8800互換の技術少年出版 Legacy8080(Z80互換。2014年発売)が現在も発売されているようです。
ND80Z3.5とLegacy8080は中日電工製のCP/M互換OSにも対応していますが、その場合はWindowsパソコンにRS232C経由で接続し、WindowsのDOS窓で操作する形になり、単体でパソコンとしては使えません。


パソコン
日本のパソコンでは1981年に発売されたNECのPC-8800、1982年に発売されたシャープのX1、1983年に発売されたMSXなどがZ80 CPUを採用しました。
シャープのX1の最終機種のX1turboZ Ⅲは1988年12月発売。
NECのPC-8800シリーズの最終機種のPC-8801MC model1とPC-8801MC model2は1989年11月発売。
PC-9800シリーズとPC-8800シリーズを合体した機種のPC-98DOは1989年の6月に出てその最終機種のPC-98DO+は1990年10月発売。
MSXの日本の大手メーカーの最終機種のPanasonic FS-A1GTは1991年11月1日発売。
MSXはそれから15年ほどたった2006年11月に「1chipMSX」という機種が5000台ほど売られました。
もうZ80のパソコンは新品では売っていません。
MSXのキットなら今でもロシアで売っている可能性はありますがもし売っていても組み立ては非常に難易度が高いです。


NECのV30。8ビットCPU機能を持つ16ビットCPU
MS-DOSに使われたインテルの16ビットCPUの8086は8ビットCPUの8080及びZ80とのバイナリ互換はなかった。
しかし、NECはV30というCPUを開発した。
V30は8086や80186互換で、且つ8ビットCPUの8080のエミュレーションモードを持ったCPUだった。
8080はZ80の下位互換であるため、16ビットCPUのV30でもZ80の資産をある程度活かすことができた。
V30で8ビットCPUの資産を永遠に引き継げるような気もしたがそうはならなかった。
インテルは80286、80386、80486とCPUをどんどん改良していった。
しかし80286以降の互換CPUの製造をNECはインテルから許可されず、V30は時代についてくことができない低速CPUになった。
V30はしばらくはNECの安物のパソコンに使われたが、パソコンのCPUからは消えた。
後継のV33は8080エミュレーションモードが削除された。


ゲームボーイ
ゲーム専用機では1989年の4月21日に発売された任天堂のゲームボーイがZ80互換CPUを採用しました。(完全互換ではないです。)
1998年10月21日にはZ80互換のゲームボーイカラーが発売されました。
これがZ80メインのゲーム機の最後の機種だったと思います。
Z80のパソコンが市場から消えて久しいのにZ80のゲーム機の新機種が出たというのはすごいことだったと思います。
2001年3月21日にはゲームボーイアドバンスが発売されZ80互換CPUも積んでいて排他的に利用できましたがメインのCPUは32ビットのARM7TDMIでした。
このアドバンスからZ80は重要ではなく古いゲームの互換のためにあるだけで新しいソフトには要らないものでした。
パソコンのみならず携帯ゲーム機でさえもZ80は使えないということになってしまったようです。
2003年2月14日発売のゲームボーイアドバンスSP、
2005年9月13日発売のゲームボーイミクロと後継機種が出ましたがZ80はあくまでサブでした。
もうZ80のゲーム専用機は新品では売っていません。


ポケコン
ポケコン(ポケットコンピュータ)では、 シャープのPC-G801(1988年発売)、PC-E200(1988年発売)、PC-G815(1992年発売)、PC-G830、 PC-G850(1996年発売)、PC-G850S(2000年発売)、PC-850V(2002年発売)、PC-G850VS(2009年発売)がZ80を採用しています。
ポケコンは需要が少なくなりある時期から店頭で買えることはなくなってからも、工業高校などの授業で使われる用途として長い間製造が続けられて注文すれば一般の人でも購入することができました。
非常に長寿です。
私もMSXが販売されなくなった後にシャープのZ80のポケコンを買ったことがあります。
最終機種はPC-G850VS(2009年発売)で生産はもう終了しています。
在庫はまだあるかも知れませんがそろそろポケコンでのZ80というより、ポケコン自体が終わるのではないかと思います。


パチンコ、スロットマシン
パチンコやスロットマシンでは長い間Z80(もしくは互換)のCPUが使われました。
Z80がまだ使われているかどうかは知りません。


CPUボード
制御では今でもZ80は使われており、今でもZ80のCPUボードを買うことができます。
ですが値段も高いし今では種類も少なくいつまで売られるのかは疑問です。
CPUボードというのはCPUなどが付いている基盤です。
配線も必要なのでハードの知識もある程度ないと買っても使い道がありません。
パソコンではないのでパソコンとして使うのは無理っぽいです。
私はかなり昔に個人でCPUボード、EPROM、ROMライター、ROMイレーサー(紫外線蛍光灯でEPROMの内容を消して再度書き込めるようにするもの。)、制御向けのRS232C経由で表示するディスプレイを買って、ジョイパッドも付けて簡単なインベーダーゲームをZ80アセンブリ言語で作って動かしたことがあるんですが、意味のないことをしてしまったと思っています。
その作ったものを人に見せることもなかったです。
見せたかったんですけど大人げないことはできなかった。
当時はインターネットも一般には普及して無かったんで作りましたってインターネットに投稿することもできなかったです。
もう大部前に捨てました。


MSX (パソコン)


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