MSXパソコンの終焉


2016.12.25更新

8ビットパソコンであるMSXが発売されたのは1983年。(秋から年末までのいつか)
8ビットパソコンのPC-6000は1981年11月10日発売で同じ8ビットパソコンのPC-8000は1981年12月に発売されていて8ビットパソコンとしては後発。
16ビットパソコンで日本で一番人気があったPC-9800シリーズは1982年10月発売。
すでに16ビットパソコンがある時代に時代遅れ感のある8ビットパソコンを売り始めたわけですから最初から長続きしそうにはなかったのかも知れない。
ちなみにゲーム専用機のファミコンは1983年7月15日発売。
MSXはパソコンといいつつ、半ゲーム機でファミコンのようにROMカートリッジを挿し込んでゲームをすることもできた。
ファミコンの大ヒットによりゲーム機としてのMSXの普及は阻まれ、しかも次から次への新型のゲーム専用機が登場したのだった。
それでもプログラムも作れてゲーム機にもなる低価格パソコンとしてそれなりに普及しMSX関連の月刊誌が同時三誌販売されている時期もあった。


変らない動作速度
8ビットパソコンだけに16ビットパソコンのPC-9800シリーズとの能力差は大きかった。
企業が業務に使うパソコンは、おもちゃのようなMSXではなく主にPC-9800シリーズだった。
MSXはゲーム用途も考慮していたせいかCPUのクロックも固定していて1990年のMSXturboR規格が出るまでは新機種が出ても速度は変わらなかった。(CPUを二つ積んで約二倍のモードもあった例外機種あり)
速度が速くなりすぎるとアクションゲームのプレイが不可能になるため速度固定のほうがゲーム機としての互換が持てた。
しかし、その固定した速度が遅すぎた。
PC-9800シリーズは新機種が出れば通常は速度は速くなって高性能になっていた。
PC-9800シリーズのCPUは、8086→V30→80286とどんどん速くなり、
つい1988年には80386で32ビットCPUになり、その後さらに80486と進化した。
MSXは長らく初代機と全く変わらないZ80、クロック約3.5MHzという超低速のまま1990年に突入した。
32ビットに進化したPC-9800との性能差は著しく多くの人がMSXから離れて行ったのではないかと思う。


MSXturboRの登場とMSX系パソコンの終了
1990年10月にはMSXもMSXturboR規格の機種のFS-A1STが出て16ビットCPUと8ビットCPUを二つ搭載し排他的に利用できるようなになった。
MSXturboRの16ビットCPUのR800は以前のMSXと比べれば超高速になり、昔のPC-9800シリーズで使われた16ビットCPUの8086やV30より高速になった。
しかし32ビットCPUの80386より遅かったし(多分80286よりも)、きつすぎるメモリ制限は変わらなかったし、超貧弱だった表示能力も変らなかった。
ハードディスクが当たり前の時代にフロッピーディスク専用機だった。(無理にハードディスクを付ける方法はなくもなかった。)
MSXturboRで時代についていこうとしたMSXだがもうこのころから終わりを迎えようとしていた。
MSXturboRを販売したのがPanasonic一社のみというのがそれを物語っていた。
MSXturboR初代機発売から翌年の1991年11月1日に、Panasonicが二代目の新機種、FS-A1GTを発売。
あまり売れなかった。
それが大手メーカーが日本で発売したMSX系パソコンの最後の機種になった。
最後のMSX規格であるMSXturboRは一社二機種しか販売されなかった。
それから15年ほどたった2006年11月にMSX2規格の「1chipMSX」という機種が5000台ほど売られました。
MSXのキットなら今でもロシアで売っている可能性はありますがもし売っていても組み立ては非常に難易度が高いです。


MSX MAGAZINEの終了
MSX初の雑誌。
1993年10月に創刊0号が出て、1984年10月号から月刊になったMSX MAGAZINE。
1992年にはもうMSXの新機種が出ることもなさそうな感じになった。
1992年5月号を最後に雑誌としてのMSX MAGAINEは終わった。
その後、忘れたころに三回ほどムック本が出た。


MSX・FANの終了
1987年3月に創刊し最後に残ったMSX月刊誌
月刊誌としてのMSX MAGAZINE無き後も、MSX実機の生産も無くなった後も月刊で販売し続けた。
しかし、1993年2月で月刊は終了して移行は隔月になった。
テレビをディスプレイの代替にできたが解像度が低くて使いにくく、特殊だったMSX向けのRGBディスプレイも入手しづらくなっていた。
パソコン屋からMSXが中古以外は消えているのだから続くわけもなく1995年8月号で終了した。
後にMSXエミュレーターが出るとかいうのは私には想像することができなかった。
1995年でMSXは死んだと言っていいと思う。
(2005年にMSX2の「1chip MSX」が5000台ほど売られましたが。)
これから32ビットOSとインターネットの時代に突入するのであった。


PC-9800シリーズより早く死んで、エミュレーターでPC-9800シリーズより長く生きているMSX

PC-9800シリーズ(PC-9821も含まれる)も1997年には新機種のPC98-NXと入れ替わる形でほぼ死んでしまい、2003年には販売も終了しました。
実機ではPC-9800シリーズは長生きし、MSXは早死にしました。
しかし、MSXにはあの世があったようですが、PC-9800にはあの世はなかったようです。
MSXにはMSXエミュレーターというものが開発されどんどん進化を続けています。
Windows、Mac OS、GNU/Linux、Androidなどの各種OSの上でMSXのソフトが実行でき、なんとウェブブラウザでもMSXのソフトが動くようになりました。
PC-9800シリーズにもエミュレーターはなくもないですがBIOSのデータを実機から自分で吸い出して来いとか、フロッピーディスクにかけられたプロテクト(違法コピー防止処理)を自分で外せとか無理難題を平気で言われるようで使いたくても使えない人がほとんどではないかと思います。
PC-9800シリーズはMSXやファミコンとは違ってROMカートリッジのソフトなどなかったのでソフトのほとんどはフロッピーディスクで販売されました。
そのフロッピーディスクのプロテクト(違法コピー防止処理)により、自分で買ったものであってもコピーできず、動く状態でコピーされたものを入手することも難しくなっています。
そしてプロテクトにはEPSONの互換機に対するプロテクトというのも存在し、PC-9800シリーズ純正でないと判断すると動かななくする処理が入ったソフト(例えばNEC販売のMS-DOS)も作られ、PC-9800のエミュレーターはその互換機プロテクトにかかってOSすら起動しないということもあるようです。
また、MSXが世界規模で販売されたのに対し、PC-9800シリーズは日本のみで販売されました。
MSXには世界規模で過去の資産を守ろうとした動きがあったのに対し、PC-9800シリーズは日本以外の国では誰にも興味持たれず誰も何もしない感じです。
MSXではMSXエミュレーターの開発も海外で進みました。
もうひとつは、PC-9800シリーズよりMSXのほうがCPUの仕様が単純だしエミュレーターを作りやすかったかも知れません。
まあとにかくMSXというマシンはエミュレーターという世界で生き続けているのに対し、PC-9800シリーズはもう生きている場所がほぼないということです。
PROJECT EGGと言うレトロゲーム総合配信サイトは、PC-8801、PC-9801、MSXなどのゲームがエミュレーターを使って有料で合法にできるようです。

MSX (パソコン)


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